旅をしながら、自然とともに生きる

北海道から沖縄へ移住して、暮らしの中で感じたことを。

【離島暮らし】大学生が島の子どもたちの旅立ちを応援!

今回は、大学生に取材させて頂きました~!

「学生団体 学生+」

活動内容について

・離島での語り合いの場、地域での語り合いの場を企画・運営(大学生が自分の経験を話す。等)

・大学生(学生+と学生ボラ)同士の交流の場の企画・運営

・離島タイムス(高校生活や本島での生活に関する情報)の発行(高校のない離島の島全てに配布。)

・情報誌「15の春を迎えるみなさんへ」の作成・配布

・ビーチクリーン活動(中学生と一緒にボランティア活動)

・シマ塾(既に本島に進学してきている高校生を対象)では、「本島に来てからの悩み」などをテーマにスポーツ大会などを実施

 

現在までの参加者(大学生160名以上、中高生500名以上)!!f:id:aguri-traveller-ciaociao1019:20181210154001j:plain

今回は、学生+の代表 宮城さんにお話を伺ってきました。

 

「15の春を迎える中学生が少しでも自分の将来について考えるきっかけになれば・・・」

 

宮城さん曰く、離島の中学生が本島の高校に進学するにあたって不安に感じていることTop3は

1.家事全般を自分ひとりでこなすことができるか。

2.勉強や学校環境についていけるか。(先生との関わりが薄く、本音が言えない等。)

3.友達ができるか。(まわりのすでにできている人間関係に入りにくい。)f:id:aguri-traveller-ciaociao1019:20181210154014j:plain

このお話を聞いた時に、当たり前のように高校生まで実家で生活して両親にどれだけ助けられていたかということを感じました。中学校を卒業してすぐに自分一人で家事をこなしながら、学校に通うということは本当に大変なことのように感じました。それでも自分ひとりで勉強も人間関係も一からつくっていかなければならない。

 

そんな「15の春」を迎える前に少しでも準備をして、本島に進学すること(将来のこと)を考えてもらえるようなきっかけづくりをしていきたいとのことでした。f:id:aguri-traveller-ciaociao1019:20181210154027j:plain

この時、学生+の大学生の皆さんで離島に実際に出向き、中学生との語り合いの場を設けて、各個人がまず将来のゴールを決めてから、逆算して考えて、いまやらなくてはいけないことを考えて、一人ひとりが将来についてストーリーを考える。

 

この語り合いの場「Retalk」を通して、中学生が将来について考えるようになったり、目標が具体的になるので学校生活が充実するようになるといった変化が起きたり、中学校の先生からは「あの活動後に生徒たちの様子が変わった。」という嬉しいお知らせもあったとのことでした。

 

現在、抱えている課題としては、後継者不足が問題になっているとのことでした。現在の団体に所属しているメンバーは6人(そのうち2人は留学、1人は教職のため忙しい)。現在もメンバーを募集中。

 

しかし、宮城さんは、「いつかはこの団体がなくなっても、今までこの企画に参加してくれていた中学生が高校生になり、自分たちのなかでこの活動が循環できるようになってほしい。」とのことでした。

  

今後やっていきたい活動として。

 本島へ進学後のフォローとして、県立の寮ができたので、そこを拠点に離島出身者が知り合う場として、お互いに悩みを相談できる場として、学生+としても活用していきたいとのことでした。

 

今後の団体の大きな目標として。

 ・もっと気軽に会話ができる場を。

・大人のヒトと出会う機会を。(こんな人になりたいといったロールモデルを紹介できるような機会を。)

・同世代や先輩との交流の場を。

最後に、取材させて頂いて感じたこと

大学生とは思えないほど、活動にストーリー性があって、同じ離島出身の中学生が高校生になった時の不安を少しでも解消して、「自分(宮城さん)たちと同じような大変な思いはしてほしくない」という気持ちが会話から伝わってきました。この活動は高校生でもなく、社会人でもない立場だからこそ共感することができて、本音を言い合える関係が成り立っているように感じました。そして、同じ離島出身者の大学生が運営しているということも大きなポイントのように感じました。学生+の活動が今後も離島の子どもたちに大きな影響を与えていくような未来を想像させてくれました。僕自身もこの活動を陰ながら応援していきたいと思いました。

【チラシのつくり方】まるで、ラブレターを描くように・・・。

先日、沖縄県那覇市にある「てぃるる」で開催された講座に参加してきました。

「人が集まる講座と思わず手にとるチラシのつくり方」

f:id:aguri-traveller-ciaociao1019:20181210100100j:plain

坂田静香さん(NPO法人男女共同参画社会おおた理事長)が講演を行ってくれました。

企画に携わった当初は定員割れの講座しかできなかったが、工夫と努力を重ねた結果、今では企画したほとんどが定員オーバーとなり、平均応募倍率3.3倍に。現在はそのノウハウを伝えるために日本全国各地で講演を行っている。

 

坂田さん曰く、「まずは企画あってのチラシありき!ということを忘れてはいけない。」
チラシのキャッチコピーが最も大切であり、広報することが目的である。なので、チラシのなかであまり堅苦しい言葉は使わないほうが良い。

最も大切なことは次の3つのことであるということを教えて頂きました。

①対象者(ターゲット)を徹底的に絞る!

②対象者の心に響くゴールの見えるタイトル!

③企画者の努力(あきらめない心)

 

とても勉強になりました。

f:id:aguri-traveller-ciaociao1019:20181210100147j:plain

ちなみに左が改善前の例、右が改善後の例だそうです。
みなさんの参考になれば、と思います。

【山の神様からの贈り物】

 

続き…。

マタギの方とそのお弟子さんと一緒に、山の中を歩くなかで、いろんな発見をした。

 

イノシシの足跡、シカの足跡、熊の引っ掻き傷跡、クワの実、栗の殻、いろんな形をした落ち葉、しとしとと降る雨、鳥や虫の声、時折差し込む太陽の光。

一つひとつを体全身で感じながら、受け止めた。

最近、ミツバチと関わり始めて、少しだけ身についた気がする野生の感性(笑)を大切にしながら、自然の中にいる時の匂いや音、景色を目に焼き付けながら。

考え事なんて、させる暇もなく、新たな体験が次々とやってくる。
普段、都会にいると、いろんな感覚が鈍ってくる。
情報が溢れすぎていて、本当に大切なものを見失う。

 

山の中を歩き続けて、2時間。
朽ちた大木に、連なる恵み(様々なキノコ)を発見した時の感動はきっと、忘れられない。

f:id:aguri-traveller-ciaociao1019:20181128152428j:plain


これからも、この奥会津・金山の山に行き続けたい。

キノコの役割…役目を果たした木を分解し、山へ返すという役割を担っている。苔や草には、そのチカラがない。キノコがいなければ、山は倒木だらけになってしまう。無駄な生物なんて、何一ついなくて、一つひとつの生物には、きっと、役目があって、それを果たすために生まれてきた。

f:id:aguri-traveller-ciaociao1019:20181128152604j:plain

人間一人ひとりも、きっと、生まれてきた目的があって、それをひたすら探し続けて、達成するという長い旅なのかもしれないと思った。

f:id:aguri-traveller-ciaociao1019:20181128152742j:plain

自然は、そもそも人のチカラ等、ほとんど必要としていないのではないだろうか。
一度でも、人の手が加わることによって、何かの歯車が狂い始めることが多いように思う。

環境保護]という言葉にさえ、疑問を感じるようになった。

【山へ入らなければ、自然は何も分からない】

 先日、福島の奥会津にある金山町を訪れた。

f:id:aguri-traveller-ciaociao1019:20181128150526j:plain

昔、日本の山々には、オオカミがいた。

そのおかげで、自然界の食物連鎖は成り立っていた。

...

しかし、環境の変化や時間の流れとともに、日本のオオカミは絶滅してしまった。

それから、山々の自然が大きく変わった。

シカやイノシシが増え、人間からは有害鳥獣とされ、狩猟によって、一時期、絶滅の一歩手前まで追い詰められた。
その後、人間の過保護によって、爆発的に増加し、今までいなかった場所にまで、現れるようになった。

そして、また有害鳥獣とされてしまった。

しかし、今は、昔のように、山々のことを知っている人も少なくなり、ハンターさんも少なくなっている。
(最近は、自分と同じような協力隊で担い手も増えているが。)

f:id:aguri-traveller-ciaociao1019:20181128150611j:plain

動物だけでなく、山々の木々も変化した。

杉林の増加である。

今、山にあるほとんどの杉の木は、昔、植林されたもの。しかし、その後、山を管理する人が少なり、杉を管理する人も居なくなった。

(材木としては、若いうちにしか使えない。木の値段が下がったり、木を切るための許可や労働に対しての対価が見合わなくなった。どれも、人間が勝手に決めて、勝手にやってきた。)

杉の林は、山々に差し込む光(木漏れ日)を少なくし、他の植物を生えなくさせる(山を歩くと、実感できる)。
山に緑があるだけで、自然がいっぱいあるなんて、思っちゃいけない。その植物は、他の動植物とどんな関係を築いているのかまで、目を向ける必要がある。

自然は、どれだけ傷つけても、何も言わない。
だからといって、何もないとは思えない。
自然からのしっぺ返しはいつくるのだろうか…最近の天変地異や異常気象は、その序章でしかないのかもしれない。

f:id:aguri-traveller-ciaociao1019:20181128150903j:plain

福島県会津マタギの方から聞いたお話。
毎日のように、山を歩き、山に感謝を捧げ、山と向き合い続けているからこそ、分かることなのかもしれない。

【自分の住んでいる地域の未来図を描く】

第5次名護市総合計画策定プロジェクト

 

コーディネート役として、studio-Lさんが来ました!

 

『あなたは、今住んでいる地域が、今後どんな地域になってほしいですか?』

・子育てが充実してる地域
・お年寄りに優しい地域
・観光で盛り上がる地域
・若者が元気な地域
・地域のみんなが友達のような地域

 

いろんな立場の人がいろんな方向性の地域を想像する。

外からの目線も必要だろうし、地元の歴史や知恵に詳しい人の目線も必要。さらに、これからの地域を担う子どもたちの目線も欠かせない。

 

全員の意見を全て盛り込むのは、難しいかもしれないけど、一人ひとりの意見をどのように組み込んでいくのかが重要。。。

 

ある地域の区長さんから、こんな話が出てきた。
『羽地地域では、昔から養鶏が盛んだった。どこの家でも、鶏を飼っており、地域住民は頻繁に外へ出て、すれ違う住民同士、お互いの養鶏の話を通して、日常会話をする機会が多くあった。
しかし、公害や衛生問題で、気軽に養鶏ができなくなり、住民同士の共通の話題が少しずつ減っていった。
それに連れて、引きこもりがちになり、家族同士のやりとりのみになってしまった世帯も多い。
今後、空き家はどんどん増え、課題は膨らみ続けるだろう。

地元出身者で、地域に帰ってこない人も多い。そのような人たちを呼び戻すのも、一つの方法。

移住者も少なくはないが、みんながみんな地域に積極的ではない。移住者と地域住民の関係づくりについても、今後、考えていかなければいけない。』

 

地域のみんなが一緒に取り組めることを企画して、みんなが一つの目標へ向かうような仕掛けづくりが最初に必要なのかもしれないと思った。

 

地域づくりを考える時に、一人ひとりの役割をつくることがいかに重要かということを改めて気づかされた。

 

最後に、studio-Lさんより、
『総合計画と聞くと、硬い文章のイメージがあるけれど、絵を描くのも、一つの方法です。』
と言われ、思わず、なるほどと思った。

f:id:aguri-traveller-ciaociao1019:20181115135419j:plain

【器の重みを初めて感じる】

普段、なにげなく、使っているコップやお皿、お茶碗たち。f:id:aguri-traveller-ciaociao1019:20181115134501j:plain

どんな風に作られているのか、想像は出来てた。...

 

しかし、いざ、職人さんのお話を聞いてみると、、、想像以上に、大変だけど、とてつもなく、やりがいのあるかっこいいお仕事でした。

 

実は、沖縄に来て、初めてやちむんの里を訪れました。f:id:aguri-traveller-ciaociao1019:20181115134544j:plain

この種類の窯の名前は、『登り窯』。
外観は、風の谷のナウシカに出てくるようなオームのような形。(笑)
1番下の窯から、順番に燃やし、一段ずつ上がりながら、左右の窯にも、火を入れていく。
これを3日間くらい燃やし続ける。
その間、火を絶やすことは許されない。

f:id:aguri-traveller-ciaociao1019:20181115134622j:plain

そして、この窯自体も、職人さんの手作り。
家族総出で、山を切り開き、約1年半くらいかけて、完成した。

 

沖縄でいうやちむん(焼き物)は、もともと、今の那覇の壺屋あたりで盛んだった。
しかし、時代の流れとともに、那覇は都会化が進み、窯の場所を移動せざる終えなかった。

 

そして、今は読谷村のやちむんの里になった。

f:id:aguri-traveller-ciaociao1019:20181115134604j:plain

もう、今は窯を自分で持っている人も少なくなり、ほとんどの人が共同で窯を使っている。

自分たちで窯を持っているからこそ、たくさんのやちむんを同時に焼くことができる。
焼き入れを行うタイミングも自分たちで決められる。

 

先週、焼き入れを行なったものを、昨日からは取り出す作業、そして、最後にヤスリをかける。

 

完成した器は、どれも個性があって、一つひとつが輝いていた。これから、どんな人の手に渡るのか、まるで楽しみにしているようだった。

 

f:id:aguri-traveller-ciaociao1019:20181115134444j:plain

 

やっぱり、手でモノをつくるって、本当にかっこいい。

くいだおれ物語~Ploughman's Lunch Bakery~

本日は、「Ploughman's Lunch Bakery」というパン・カフェに行ってきました。

f:id:aguri-traveller-ciaociao1019:20181010112955j:plain


見た目は、シンプルな四角い箱形の建物でした。

そこは、もともと米軍基地関係の軍人やその家族のために建てられた”外人住宅”。

最近、沖縄県内でよく見かけるようになりました。住まいとしてだけでなく、カフェや雑貨屋さんとしても利用されている。ここのお店もそのひとつ。

f:id:aguri-traveller-ciaociao1019:20181010153626j:plain

f:id:aguri-traveller-ciaociao1019:20181010153604j:plain
沖縄本島中南部の基地周辺でよく見かけられる外人住宅は、1950年頃から建設が始まった。1972年の沖縄返還後は、民間にも貸し出されるようになり、シンプルな構造は手入れがしやすく、ショップとして最近、人気があるそうです。

f:id:aguri-traveller-ciaociao1019:20181010153943j:plain
ここのパン・カフェは、いろんな種類のパンがありました。
もちろん、店内でも食べられますし、テイクアウトもできます。

f:id:aguri-traveller-ciaociao1019:20181010154006j:plain


僕はランチプレート「生ハム、ブルーチーズ、ドライいちじくのサンド」を頂きました。
ほのかなブルーチーズの香りとともに優しい小麦の味がマッチしていて、とても美味しかったです。

内装もオシャレでゆっくり過ごすことができました。

また機会があれば、行きたいと思います。
北中城村に行く際はぜひ~(^O^)/

 
ホームページ 「Ploughman's Lunch Bakery」↓

http://www.ploughmans.net/menu