取材活動~赤木葉子さんのイタリア料理教室~
昨日、赤木葉子さんの「イタリア料理教室」へ取材に行ってきました。
取材先/
赤木葉子さん
経歴/
神奈川県横浜市出身。
平成16年に那覇市に移住。
当初は、自宅で手作りパン教室を開く。
その後、40代からの語学留学をきっかけに北イタリアヴェローナへ通い、いつもステイする友人宅の家庭の味を習得。沖縄へ帰国し、パン教室をやめ、現在ではイタリア家庭料理教室を開くようになったそうです。
そのイタリア料理教室で使う食材は、沖縄のスーパーなどで簡単に手に入る食材を使って本場の味を再現することで、イタリアの家庭料理を発信するとともに、地域での交流の場を提供している。また、その楽しい雰囲気のなかで学ぶことができる教室は口コミで広がり、今では、予約制で開かれる教室になっている。
印象に残っているお言葉/
「丁寧に生きる」
作れるものは自分の手でつくる。
スローフード・スローライフをモットーに今は生活しているそうです。
偶然の出会い・・・
すると、あるダイビングショップが目に留まり、気づいた時にはもうお店に入っていました。
一人シュノーケルなどのグッズを見ていると、店員さんに話しかけられました。
店員さん「もしよかったら、お飲み物いかがですか?」
心の声「今日はよく声をかけられるなあ~。さっきも外国人の方に道を聞かれて、案内したしなあ~。」
店員さん「どこから来られたのですか?」
「北海道から移住してきました!」
店員さん「えっ、私も北海道です!ちなみにどこですか?」
といった感じで、話を進めると、同じ北海道出身で、25歳で、2016年4月から移住で、自分と同じくダイビングも好きで、と共通点が多すぎて、思わず笑ってしまいました(笑)
店員さんは慶良間諸島でダイビングをしたことがきっかけで、ダイビングショップに就職したそうです。
本当に、一日でいろんな出会いがあった一日でした。
国際通りにある観光案内所(てんぶす那覇)
てんぶす那覇のなかを歩いていると、国際通りの観光案内所があったのですが、外からはなかなか見えにくかったので、こんなしっかりした施設があるのに、もったいないなあ~と思いました。
そんな感じでフラフラしていると、あるお店のおじさんに話かけられました。
おじさん「もしよかったら、少しお店のなかを見ていきませんか?」
心の声「えっ!こんな高級感満載のお店に入っても何も買えないよ~」
と思いながらも、なんやかんやでお店に入ることになりました。
すると、おじさんはお店で販売している伝統工芸品についてひとつひとつ説明をしてくれました。そこで説明してくれた工芸品は次の通りでした。
・「卯三郎こけし」
群馬県で作られているさまざまなこけしがいました。その中には、沖縄県で就労継続支援によってつくられたものもありました。ひとつひとつにひとりひとりの想いが込めれていることに温かみを感じました。
・「公長齋小菅」
竹によってつくられた様々な形の弁当箱・箸・箸箱。
これで、お弁当をつくったら、何でもおいしく感じられそうだなあ~と思いました。
・「京うちわ阿以波」
このうちわは、おじさんによると芸術品であるから、実際には使うものではなく、飾っておくものなんだよ~と言われ、うちわなのか、絵画なのか判別が難しい品物でした(笑)
・「大黒屋江戸木箸」
この箸は3年以上使っても、きれいなままなんだよとおじさんは、今まで自分が使っていた箸を見せてくれました。本当にきれいなままでした(笑)
もし、興味のあるものがあったら、ぜひ行ってみてください。
おじさんは1年ほど前に、日本各地の伝統工芸品を沖縄から発信したくて、横浜から沖縄に家族で引っ越してきたそうです。
伝統工芸品と聞くと、最初に思いつく言葉が「後継者がいない」ということでした。日本の良さだったり、技術は日本にしかないものが数多くあるのに、失われつつある。といったことをよく耳にします。地域づくりを考えるにあたって、伝統工芸品はその地域の宝ではないだろうかと自分は思います。何か結びつけられそうですが。
やっぱり沖縄に移住してくる人は多いんだと改めて感じました。
自分自身も移住した身ではありますが。
沖縄の新たな景色を求めて
先日、名護から那覇(国際通り周辺)へ来て、そこから沖縄アウトレットモールあしびなーまで歩いていってきました。
だいたい2時間くらいかかりましたが、行くまでの途中でいろんな景色に出会うことができました。
○小学校の前にあった交通安全の看板「へーさんどー」
・・・おそらく交通安全のことを言っていると思うのですが、こんな方言で書かれている交通安全の看板にちょっぴり心が温まりました。
今ではどこの小学校でもやっていることかもしれませんが。それを発展させて県内交通安全俳句コンテストみたいなのがあったら面白いかもと思いながら、見ていました。
もしかしたら、もうあるかもしれませんが(笑)
どんな形であっても子どもたちが地域とのかかわりをもつきっかけを持たせることで、将来に向けた地域づくりを行っているように感じました。
○夕陽をバックに着陸する飛行機
・・・沖縄県内の西海岸にいけば、いつでも海に沈む夕陽を見られるのは正直、いいなあと思いました。
夕陽が海に沈むことが見られるのは、日本のなかでもあまりないだろうし、瀬長島へ行くとかなり近くで着陸している最中の飛行機に出会うことができる。
もしかしたら、空港の展望デッキから見るよりもかなり近い距離で見られるかも。
また、これからもいろんなとこに歩いていこうと思います。
那覇で食べられる古民家沖縄そば屋さん
【沖縄】へ【移住】して、初めに感じたこと。
こんにちは。
本日の名護市の天気は曇り時々雨模様みたいです。
今にも雨が降りそうな天気です。
地元の北海道を離れ、沖縄県での生活を始めて、約2年が経過しました。
これからちょくちょく、沖縄へ移住して感じた事や地域おこし協力隊というお仕事を通じて感じた事を発信できればと思いますので、よろしくお願い致します。
今回は移住して来たばかりの頃を振り返ろうと思います。
沖縄は、意外と寒いというのが、初めの印象でした。
北海道に比べると、もちろん暖かいのですが、沖縄の寒さは北海道とは違う寒さを感じます。北海道は雪が降ったり、気温的にはもちろん寒いですが、沖縄の寒さは風が冷たいなあと感じることが多いです。夜になると、元道民にとっても、寒く感じました(笑)
今では、沖縄の気候にも慣れてきましたが・・・(笑)
沖縄県地域おこし協力隊としてのお仕事も任期残り1年となりましたが、初心を思い出しながら、沖縄の地域・離島のために頑張っていきたいと思います。
雪国【北海道】から南国【沖縄】へ
初めまして。
1992年生まれ・北海道札幌市出生・沖縄県名護市在住の柊といいます。
沖縄へ移住を決めたきっかけは、大学生の頃でした。
大学は、北海道教育大学釧路校へ進学。
そこで出会ったのが「琉球大学交換留学制度」でした。
その制度を知った時は、「これに行けば、自分も何か変われるかもしれない」という想いから、初めての北海道外での暮らし、初めての沖縄に不安を感じながらも、交換留学へ行くことを決意しました。
実際に、沖縄へ来てみると、北海道とは何もかも違った。
人、文化、言語、地域、観光、食・・・。
そして、半年間、生活しているなかで、沖縄を好きになりました。
この時は、ぼんやりとまたいつか住みたいという気持ちだけがありました。
交換留学を終えて・・・
北海道に戻ってからは地域活性化等について学ぶ研究室に所属し、大学3年生からは「環境社会学」という分野について学んだ。
研究室では、北海道浜中町や中標津町におけるサスティナブルツーリズムやロングトレイル、サイクルツーリズムについて、研究・実践を行っていました。
その後、大学で学んだことを仕事に繋げたいという想いで、地域おこし協力隊というお仕事に出会い、沖縄県で募集があったので、応募に至った。
沖縄に住んで、見て、触って、食べて、歩いて、話して、聞いて、感じたことをつらづらーと書いていければと思いますので、もしよかったら、覗いてみてください。